2011.10.30 Sunday
中野 雄 「指揮者の役割―ヨーロッパ三大オーケストラ物語」
『オーケストラにとって指揮者は不可欠のカリスマか、それとも単なる裸の王様か?どんな能力と資質が必要とされるのか?ウィーン・フィル、ベルリン・フィ ル、そしてアムステルダムのコンセルトヘボー管弦楽団を舞台に、フルトヴェングラーからカラヤン・小澤をへてゲルギエフまで―巨匠たちの仕事と人間性の秘 密に迫る』
(〜amazon)
著者はクラシック音楽の製作現場などで長年経験を積んできた方らしく、ウィーン・フィルやベルリン・フィルの楽団員や指揮者達との交流の中で知った「真実」をまとめたという雰囲気の本です。
読む方としては、良い指揮者とそうでない指揮者の理由や事情を知りたい訳ですが、カラヤンや小沢征爾などについては意外な程の新事実もあって結構楽しめました。類書と較べてより深い表現があるわけでもないのですが、指揮者やオケのメンバーの「現実」について内部の人間しか知り得ない点に触れていて面白いのです。
伝統あるウィーン・フィルは指揮者の選定でも団員の独自性が高く、アバドでさえも「あの方は勉強をしなくなりました」とバッサリ。編成が小さければ指揮者も不要、停電しても大丈夫という音楽家としての能力、自発性の高さが印象的。何故「小沢征爾であり」、何故「小沢征爾でなかったのか?」という現実的な事情や舞台裏も書かれていて、実際のところこの辺が本書の目玉かも知れません。
小沢登場の事情としては自動車レースのF1同様に、スポンサーとなったトヨタのもたらす「お金」が大きかったらしい。そして、勉強家小沢の「振りすぎる棒」は音楽を知り尽くしたウィーン・フィルには迷惑だったようで・・・ついには小沢を苦しめ指揮棒を捨てさせた?・・・なんてちょっとめげる裏話が・・・。その逆に、スポンサーに対するサービスとしてのウィーン・フィルの日本への肩入れ、例えば名古屋フィルハーモニーとの交流やえり抜きメンバーによる来日公演の実現などの始めて知った「良い話」もあります。
ベルリン・フィルについてはカラヤンの台頭と「末路」が目玉。とりたてて新事実はありませんが、車で言えばベンツのような団員の技量の高さ、カラヤンの「戦略」の見事さと、「帝王」でさえもどうにもならなかった自らの「寿命」に対する「無念」さの告白が印象的かな・・・。
全体の三分の一を占めるコンセルトヘボ−は・・・申し訳ない・・・ハイティンクと言う指揮者(多くの楽団員には「ラブリー」な存在らしい・・・)のイメージが強くて興味が湧かず読んでません・・・と言う訳にもいかないか。(汗)ざっと目を通すと・・・地味ながら実は凄いんです!というようなお話が多くて面白い。
冒頭で著者は、カリスマ指揮者と呼ばれるに必要な四つの資質について触れています。「統率力」「学習脳力」「経営能力」「天職と人生に対する執念」ですが、登場する指揮者達は誉められるにしろけなされるにしろこの資質は持っているようですね。
もう一つ印象に残っているのが本の書名にもなっている「役割」についてのお話。オケと指揮者は互いに切磋琢磨する存在でなければいけない、どちらかが「満足」してしまったら進歩は無い!ブレ−ズやゲルギエフは色々な意味で「砥石」の役割を果たしてくれる存在らしい。練習上手は必ずしも名指揮者とはなり得ず、語るべき言葉を持たない指揮者は最悪・・・なんて目から鱗の話も・・・。
世界には様々なスタイルのオケや指揮者、音楽家がいて、取りあげられた三大オケや指揮者が「正しい」在り方というお話ではなく、それぞれの個性がそれぞれの音楽性を育んでいると分る本ですね。
そうそう、今月はTVでクラシック音楽を取りあげた二つのドキュメンタリーを見ました。この本にも関係するので簡単に紹介・・・。
まずはNHK・・・小沢征爾のドキュメンタリーですが、まさしく「執念」を感じました。癌との戦いを経ての闘病の日々、今年のサイトウキネンでの苦闘などのお話でしたが、病身に鞭打って「青髭」の指揮台に立つ姿は痛々しく衝撃的でした。この本では小沢の師匠である齋藤秀雄の指揮法について、普通レベルのオケをトレーニングするには良いが、ウィーン・フィルの様な「高いレベルのオケ」相手では「邪魔」であり通用しなかったと言うようなことが書かれています。
身に付いた技術が逆に指揮者を苦しめる場合もあると言う話で、乗馬での美しい飛翔を目指すなら「細かな手綱捌き」ではなく「鼻先のニンジン」程度がよろしく、緩やかなニンジン捌きによって馬体を導く事こそ「名演奏」への道という、「技術」も大事だけれど最後は「感性」と言う事なのでしょうね。
ただ、小沢征爾にとっては辛いお話かもしれませんが、彼の音楽性そのものが否定されたわけでは無いのはハッキリさせておきましょう。実際の所、私の中での「圧倒的名演奏を聴かせてくれた指揮者番付」では小沢征爾がいまだダントツの一位であり、彼こそ「ミューズに愛された人間」との思いは変わっていないことを告白しておきます・・・。
さて、続いては・・・BS朝日でみたドキュメンタリーも面白かった・・・。
音楽コンクールで優秀な成績を収めた若者達がカルテットを組み、海外の室内楽コンクールに挑戦したが予備審査であえなく落選。センセーショナルなデビューを期待して取材していたポピュラー好きのプロデューサーは仕方なく彼らのその後の三年半を追った・・・というドキュメンタリーでしたが、これも最後は「感性」でした。
挫折の後、本場で通用するカルテットを目指して別々に渡欧した若者達は、彼の地で生活するうち次第にテクニックだけではどうしようもない「音楽」の本質を知る。最後には彼らなりのクラシック音楽を身に付けるに至ったが、その時にはそれぞれの音楽家としてのキャリアも方向性も違いが表面化し、いつかの再会を約して別れていった・・・という様なお話・・・。
印象的だったのは涙。カルテットとして師事していたタカーチ氏(タカーチSQの創設メンバー)が、手本を示すため自ら演奏(シューマンの一番?)を始めると・・・傍らで聴いていた第一バイオリンの彼が・・・思わずハラハラと落涙・・・。
師匠の言葉だけでは理解出来なかった「音楽」を会得した瞬間・・・彼も「音楽家」になったな・・・と感じました。
楽譜通り演奏すれば自然に名演奏になる、その様に楽譜は書かれている・・・と言う「真実」も有るでしょうが、聴くだけファンの私としてはやはり「感性」も大事だと思いたい。
この本もTVで見た二つドキュメンタリーもそんなことを考えさせてくれました。
ちなみに・・・ポピュラー好きのプロデューサーですが、取材を通してクラシックに親しんでいったらしく個人のCDコレクションを映していたりしました。別にどうでも良い事でしたが民放らしくて微笑ましかったですね。(笑)