雪太郎のつぶやき

美しいもの、面白いもの、切ないもの、考えさせる物・・・。一人が好きだけど、独りじゃ寂しい。そんな私のつぶやき・・・・。
クラシック音楽が苦手な人にはお薦めできません。暗いのが嫌いな人にはお薦めできません!!お子様にもお薦めできません!!
[謝辞]
父と母に、家族に、多くの慰めと喜びを与えてくれた、過去、現在、そして未来の芸術家達に、感謝!!
[おことわり]
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2008.10.31 Friday

放送予定

まずはTVから。
明日の夜10時からのBs-hi「ウイークエンドシアター」は「NHK音楽祭2008 ノセダ指揮 サラ・チャン」。カラフルな曲目ですね。

3日月曜日の夜8時、デジタル教育3では、ケント・ナガノによる「舞台神聖祭典劇パルシファル」全曲が。2004年の舞台ですが、4時間か・・・・。(汗)

FMでは、日曜日の午後2時からの「サンデークラシックワイド −海外コンサート−」が注目。来日が決まったグスターボ・デュダメルの特集です。今年のワルトビューネの他、4つのコンサートからと盛りだくさん。こちらも4時間・・・。(笑)

5日水曜日の夜は「第1631回N響定期公演」の生中継。イルジー・コウトの指揮でブル4です。

7日金曜日の夜は「NHK音楽祭2008 −サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団−」の生中継が!オール・チャイコフスキー・プロですが、何と庄司紗矢香のヴァイオリンも聴けます!

お休みもあって充実してます。出来るだけ聴きたいものですが、忙しくって・・・聴けるかな?(笑)ムード

2008.10.29 Wednesday

令丈ヒロ子 他 「Twinkle―ひかりもの」

Twinkle―ひかりもの (teens’ best selections 17)
Twinkle―ひかりもの (teens’ best selections 17)
香月 日輪、後藤 みわこ、ひこ・ 田中、寮 美千子、(責任編集)令丈 ヒロ子 (2008年9月刊)
 
以前紹介した「Fragile-こわれもの」と同じような趣旨で企画された5氏による短編集。責任編集者と書かれている令丈 ヒロ子氏のみが前回と同じ方です。

後藤 みわこ  バラの街の転校生
令丈 ヒロ子  めっちゃ、ピカピカの、人たち。
ひこ・田中   roleplay days
寮 美千子    蛍万華鏡
香月 日輪   光る海

第1話は題名の通りで、岐阜から大阪に転校してきた中二の女生徒のお話。異様な粘着質?の同級生に振り回されている内にいつしかクラスに馴染んでいるという様な内容で、大阪人てこんなに・・・・と妙に感心してしまう。(笑)

第2話は「Fragile-こわれもの」でも登場した漫才少女のお話の続編。いよいよTVに登場!となったその時・・・・骨折して入院する少女・・・。絶望の淵に沈んだ主人公だったが、後を託した相方の機転で、最悪の事態を免れた上、予想もしなかった形で希望が見えてくるという結末。ほのぼのとした人間関係が描かれていてほっとします。面白いのは、主人公が、病院で隣のベッドの「おばあさん」に諭される場面。「なんで、あんた、自分の光具合まで自分で勝手に決めるんな」「あんたら子供は、息してるひかりもの、みたいなもんやからな」と自信喪失状態の主人公に「活」を入れます。そして最後の場面で、その「おばあさん」の「正体」が・・・これが・・・お洒落です!!(笑)

こてこての大阪弁の威力にタジタジ・・・。(汗)

第3話は、学校で居場所がない?男子中学生(5人組)が過ごすある一日のお話。互いに深い関係を持とうとしない彼らの、携帯電話に関わるエピソードや街中で偶然出会った怖い体験などを通して中学生たちの漂うような日常を描き出す。不思議な感触のお話なのだけれど、ひょっとしたらこれこそ今時の「リアル」なのか?と考えてしまう。

第4話・・・寮 美千子・・・「蛍万華鏡」。

ああ・・・これは・・・・素晴らしい・・・・。

離婚した両親に「捨てられる」ように、奈良に住む祖父のもとにやってきた中三の男の子・・・ヒカル。物語は、ヒカルの記憶を辿るように語られる・・・。

桜の花びらが舞う大仏殿で、孤独感から涙ぐむヒカルが偶然出合ったのは、青い服を着た少女・・・蛍。「花が咲いたみたいに、そこから光がこぼれだすように、笑った」少女蛍と恋に落ちたヒカルは、奈良の町を、寺社や季節の移ろいに合わせた行事などをともに楽しむ夢のような時を・・・春と夏を過ごす・・・・。

だが、繊細な蛍・・・余りに繊細な蛍には「秘密」があり・・・それを知ったヒカルは・・・・!

結末は・・・切なく・・・悲しい・・・。

「あたしはホタル。人間のホタルなのに・・・」
「お願い。あたしを、忘れないで・・・」

哀切な蛍の言葉・・・思い出の万華鏡・・・ヒカルはいつまでも忘れない・・・。

思わず抱きしめたくなるような・・・美しい物語です。

第5話・・・香月 日輪・・・「光る海」。

これも素晴らしい!

大阪の下町で過ごした少学4年生の時突然消えてしまった友人健一と、田舎の町で再会した15歳の久。大阪弁?で懐かしい子供時代を話し合う内、心の中によどんでいた過去のわだかまりが蘇りそれぞれの「思い」と「事情」を吐露し合う二人。涙ながらに「謝罪」する健一、子供にはどうしようもなかった「事情」を知って許す久・・・。互いの友情を確認できた二人だったが、健一の口から更に告げられる「事情」を聞いて言葉を失う久・・・。

「俺のこと、忘れんといて・・・」
「忘れるか、アホ!」

15歳の二人は、それぞれを思って涙を流す・・・。

光る海を背景に・・二人を乗せた自転車は走っていく・・・。

過酷な運命を前に、泣きながら笑い合う二人が切ない物語です・・・。


全五作、それぞれに味がありますが、中でも最後の二作は驚くほどの傑作です!!

二人の繊細な心模様を美しい奈良の情景に重ねた「蛍万華鏡」は私好みの作品で感動しましたが、「プリンセス・プリンセス」の良さが分かる人なら文句ない買い!です。(笑)

「光る海」は関西弁の会話なので、最初はちょっと面食らうのですが、後半の涙の場面になると全く気にならなくなり、結末の場面ではその「関西弁」ゆえにほっとさせられるものがあります。ちょっとした発見ですね。

前作「Fragile-こわれもの」では全体としてのはっきりとしたイメージを感じませんでしたが、今回は逆で、「15歳という輝く時を精一杯生きよう!」とでも言うようなメッセージを感じますね。普通の子も、そうでない子も、出来る子も出来ない子も、自分や他人を「これ」と決めつけず、希望を持って生きていこうと言う感じかな。

『「もののあはれ」は、男と女はどんなに愛し合っていてもいつかは生別、死別いずれかによって別れねばならぬ、春は必ず夏になり秋になり冬になるという「この世のさだめのせいでの哀愁」を言うことになる。そしてその「ものがたり」とはそのさだめを語る文学形式であった』

一昨日の書き込みで引用した丸谷氏の言葉ですが、第4話と第5話はまさしく「ものがたり」ですね・・・。そして、「忘れないで・・・」の思いはアニメ「BLUE DROP」に通じるものです・・・。

全体としては、ひょっとしたら今年のベストかな?(笑)グッド

2008.10.27 Monday

読書欄

昨日の毎日新聞、読書欄が読み応えありましたね。いつもはちらりと見るだけで・・・無視してたんですが。(笑)

「源氏物語千年紀」(紫式部日記に源氏物語の存在を示す記述が登場したのが千年前の11月1日だったらしい。)にちなんだ読書案内特集でしたが、あちこちに目を惹く記述があって唸りました。印象に残った部分だけ抜き書きしていこう・・・。

まずは田中優子氏の評から。

1、江戸文学を知ろうとすると、その背景となる古典が多数あって大変らしいが、中でも源氏物語の存在は大きいそうだ。井原西鶴の「好色一代男」全54編は、源氏物語全54帖に対応していて随所で源氏物語に付いたり離れたりするらしい。また江戸時代にも多くの源氏関連の作品が生み出されたそうで、当時の美意識を源氏物語のように描いた本もあったらしい。

2、『江戸時代に好色の原型を提供した「源氏物語」は、遊郭にも深く関わった。遊女たちが源氏名を名乗っただけではない』。源氏物語を愛好する遊女たちもいたそうだ。そう言えば、水商売のお姉さんたちの「源氏名」って・・・源氏物語から来ていたのか・・・知らなかった・・・。(笑)

3、『源氏物語はそれまでの「出来事を語る物語」を、「出来事の心を語る物語」に飛躍させた』

4、本居宣長は『「源氏物語」から「もののあはれ」という性質を掘り出してきて、それはやがて、日本文化全体の特徴と言われるようになった。宣長はこの中で二つのことを言った。一つは、世のありさまや人の情(もののあはれ)をありのままに書いた物語こそ日本の特徴であるということ。もう一つは、物語のよしあしは善悪とは異なるもので、もののあわれを感じられるか否かにこそ価値がある、ということである』。

「もののあはれ」・・・これですよ・・・。

という感じで5冊ほどの本を紹介していましたね。

続いては瀬戸内寂聴氏の「好きなもの」。これはコラムですが・・・。

1、小説、中でも「源氏物語」が好き。

2、「源氏物語」の登場人物で好きなのは年齢とともに変ったそうで、娘時代は「明石の君」の聡明さと爽やかさ。大人になってからは「六条御息所」。彼女の情念の激しさに惹かれたが、今ではそのしつこさが鬱陶しいそうだ。(笑)そして現在は・・・その人が登場するだけであたりがぱっと明るくなる感じのする「朧月夜の君」が大好き!当時としては珍しく自由に自我を貫いているそうだ。

3、男の君では「柏木」が・・・。恋のため泡のように死んだダメ男が『しみじみいとしい』そうだ・・・・。う〜ん・・・瀬戸内寂聴・・・いい人だ・・・。(笑)

3人目は丸谷才一氏。
丸谷氏は「白眉とも言うべき三帖は原文で読もう」と勧める。

『全巻を読むのは大変だ。工夫しよう。とりあえず第一帖「桐壺」から第三十三帖「藤裏葉」までは小学館「新編日本古典文学全集 源氏物語 全六巻 阿部秋生他校注・訳」の各帖のはじめについている梗概ですませ、それにつづく「若菜(上下)」と「柏木」を、つまり第三十四帖から第三十六帖までを、同じページの上にある注と下にある訳文を参照しながら原文で読むのがよい。この三帖は「源氏」の白眉である』と親切です。

『この三帖がおもしろかったら、余勢を駆って、原文で、それとも瀬戸内寂聴訳その他によって、宇治十帖へ進むのもよい。「桐壺」からたどり直すのもよかろう』

時々アーサーウェイリーの英訳(後で紹介)も原文に近い宮廷的な典雅があってよいらしいし、「岩波古語辞典(補訂版)大野晋編」をそばに置くことも勧めている。その他英米における「源氏」紹介本なども・・・。

実は、この丸谷氏の文で見逃せないことが最後に書いてあった。田中氏も触れていた「もののあはれ」に関する事であるが、源氏の「もののあはれ」から万葉集の和歌に話が及んで『「もののあはれ」は、男と女はどんなに愛し合っていてもいつかは生別、死別いずれかによって別れねばならぬ、春は必ず夏になり秋になり冬になるという「この世のさだめのせいでの哀愁」を言うことになる。そしてその「ものがたり」とはそのさだめを語る文学形式であった』と締めている。なるほどね・・・・思わず唸ります・・・。

実は丸谷氏、もう一つ大事なことを言っていたのですが・・・これは後日・・・ああ・・・。

おまけは「この人・この3冊」というコラム。平川祐弘氏がアーサー・ウェイリーに関する3冊を。

1、The Tale Of Genji (Dover Thrift Editions)
2、Madly Singing in the Mountains: An Appreciation and Anthology of Arthur Walley
3、ブルームズベリーの恋

源氏を知った英国人の奔放な生き様が紹介されていて微笑ましい記事でしたね。面白いのはamazonをみていたらウェイリーが英訳した源氏を日本語に「翻訳」した「ウェイリー版源氏物語」が出版されているのですね。コメントを見ると面白いらしいですよ。

ということで、久しぶりに興奮してしまいましたが、こんなに書いたんだから私も「源氏物語」を読むのだろうか?

う〜ん・・・神のみぞ知る・・・だね。(笑)読書

2008.10.26 Sunday

サウンドトラックから見る! アニメ「BLUE DROP」の世界 その13

う〜ん・・・13回目か・・・随分来ました・・・。

今回は第26曲から。

26、 Sospirando(ソスピランド) 作曲 Clara 1:31
第3話の最後。萩乃のいない夜を過すマリ。BLUE艦橋の萩乃。それぞれを思う静かな夜・・・印象的な場面の曲です。Sospirandoは、音楽用語辞典では「嘆いて.苦悩に満ちて.悲しみに沈んで」とあるけれど、ピアノソロで、シンプルなメロディーが流れる優しく美しい曲。1317に通じる・・・密やかな美しさ・・・夜の音楽・・・。

第4話、第6話、第9話、第13話でも。13話でのミッチーの、涙の訴えが胸を打つ・・・。



第3話。
ノヴァールとの接触のため学園を抜け出した萩乃。萩乃を思い、上の空の一日を過ごしたマリ・・・。調理実習の失敗もあってすごすごと部屋に戻ったマリは、パジャマに着替えてため息をつき・・・目の前の萩乃のベッドを見ながら前夜の出来事を思い起こす・・・。


マリに触れたため接触テレパスの衝撃を受け、床に倒れて息も絶え絶えに苦しむ萩乃・・・。

「大丈夫?・・・少し楽にした方が・・・」心配して萩乃の肩に手を触れようとするマリ・・・。

「触らないで!!」再度の衝撃を恐れて叫ぶ萩乃。

「あっ!」萩乃の剣幕に思わず手を止め、体を起こして眉をひそめるマリ。

「あなたね、大体どう言うつもりなの?!」気色ばむマリ。

「いきなり人の首を絞めてみたり、同室にさせてみたり、一体何が狙いなのよ!??」

無言のまま、荒い息の下でマリを見つめる萩乃・・・。

「あたしをどうしようって言うの!??」床に手をつき、萩乃の顔を覗き込むようにして問いただすマリ・・・唇をかみしめて耐える萩乃・・・。

「別に・・・どうもしやしないわよ!」マリから顔を背けながら当然のように言う萩乃・・・。

「そう・・・そう言うつもり!?それならこっちにも考えがあるわ!」一瞬ハッとした後、険しい表情で叫ぶマリ・・・。


照明を消して暗くなった部屋。一人ベッドに入り、天井を見つめながらさらに記憶をたどるマリ・・・。


「眠らないの・・・?」ささやくような萩乃の声・・・。

「あなたこそ・・・先に寝なさいよ!」トゲのある言葉を返すマリ・・・。

制服姿のまま、ベッドを背に膝を抱えて床に座り、互いににらみ合うかのようなマリと萩乃・・・。

一つだけ明りの点いた萩乃の机のランプ。その光の下、無言のままの・・・マリと・・・萩乃・・・。


ベッドの中で眠れぬままに時を過ごし、壁に向かって寝入ろうとうするマリ・・・。



BLUE艦橋。無言で前をみつめたまま、マリと過ごした夜を思う萩乃・・・・。



ウトウトをしたかと思うと、首をうなだれてうたた寝をするマリ・・・じっと見つめる萩乃・・・・。

切ない表情を浮かべる萩乃・・・・。脳裏に浮かぶ・・・炎に包まれる神隠島・・・泣きじゃくる少女の記憶・・・辛そうに、ため息をつく萩乃・・・。

つと立ち上がり、上掛けを手にマリに歩み寄り、その肩に掛ける萩乃・・・。

んん・・・・・」寝息をたてるマリ・・・。

「もう・・・二度と・・・・」マリを見つめながら・・・囁く・・・萩乃・・・。



第4話。
第4話では、冒頭で第3話の光景が繰り返される・・・。


第6話。
第6話では前半と後半の2つの場面で使われています。

夏休み前の考査の化学で「ぶっちぎりのワースト1」の成績を収めたマリ。(笑)化学実験室で、追試前の特訓を祐子先生から受ける事に・・・。

「そうじゃなくて・・・・水に溶けにくい気体を集める時に使うのは水上置換よ・・・」肩越しに覗き込んで説明する祐子先生。顔を赤らめて先生を見上げるマリ・・・。

「・・・上方置換て言うのは、空気より軽い・・・・ん?」マリの様子に気付いて体を起こす先生。

「もう!・・・こうら!!」あきれたように指でマリのおでこをつつく先生。

「えへへへへ・・・へ・・・」思わず照れ笑いをするマリ。(笑)


月の照らす青海寮。
化学の教科書を広げて勉強するマリ。
「ん・・・・と・・・温度が一定ならば、一定量の気体の体積は圧力に反比例する・・・と。ふ〜・・・・」頭を振り、首筋をもみながらため息をつくマリ・・・。

紅茶のポットを手に廊下を歩くマリ。読書室から聞こえてくるのは、親衛隊たちのために英語のテキストを読む萩乃の声。その声をじっと聞くマリ・・・。

Two households both alike in dignity,In fair Verona, where we lay our scene,From ancient grudge break to new mutiny,Where civil blood ・・・


食堂で一人ノートを広げ、頬杖をついて考え込むミッチー。やってくるマリ。

「あ・・・マリさん。まだ起きてたんですか?」

「うん。ミッチーこそ、お芝居の?」

「えぇ・・・脚本なんて初めてだから・・・何を書いたら良いのかさっぱり思い付かなくて・・・」

「そっか・・・大変だね・・・」

「粗筋だけでも、夏休み前に決めちゃいたかったんですけど・・・」

「きっと、ミッチーが一番見たい!!って思うお話を書けば良いんだよ・・・」

「そうですね・・・」ほっとしたように答えるミッチー・・・。


花火大会の喧噪をよそに、マリの「捕獲」を目指したアザナエルの攻撃を逃れ、学園への暗い夜道を辿るマリと祐子先生。うつむいたまま、祐子先生の謝罪と忠告の言葉を聞いていたが、別れをほのめかす祐子先生に気付いたマリ・・・。

「最・・後?」顔を上げて問いかけるように囁くマリ。

「ふ・・・秘密調査官の正体がばれちゃったら、もう意味はないわ・・・。2学期からはきっと、私の後任が来ることになると思う・・・」自嘲気味に答える祐子先生。その言葉を聞きながら、顔を伏せるマリ・・・。

ヤダッ!!」突然叫び、先生にしがみつくマリ!

「あ!マリちゃん!?」マリを抱き留める祐子先生。

「先生は・・・祐子先生は秘密何とかかもしれないけど、私の先生なんでしょう?!」泣きながら問いかけるマリ・・・。

「えぇ・・・・・・・そうよ・・・」一瞬言葉に詰まりながら、答える先生。

「だったら・・・・だったら最後まで!私に勉強教えてよ〜!!先生〜!!」泣きながら、祐子先生を見上げ、懸命に訴えるマリ。

「・・・マリちゃん・・・・」その様子に打たれる祐子先生・・・。

「・・・その代わり・・・今度赤点取ったら・・・承知しないわよ・・・・」マリを抱きしめながら、ホッとしたように告げる先生・・・。

辺りを満たす虫の声・・・暗い夜空には・・・満月・・・・。

近海の海上。黒煙を上げるアザナエルの乗機。

「あなたを・・・拘束します」銃をアザナエルに向け、フライトスーツを着て長い髪をなびかせながら、静かに告げる萩乃・・・。

「勝手にしろ!」吐き捨てるように答えるアザナエル。

月の光に浮かび上がる、「BLUE」の姿・・・。


第9話。
劇の着想を得たミッチーは夜を徹して脚本に打ち込む。朝になり、様子を見るため部屋にやってきたマリは、ジャージ姿で机に突っ伏したままのミッチーを見つけてあきれるが・・・。

「あら!?」床の上から机の上まで、沢山の本が散らばった部屋。その様子に気付くマリ。

「ん・・・?」背後からミッチーの寝顔を覗き込むマリ・・・。

「頑張ってんだ・・・・脚本・・・」納得したように肯くマリ・・・。

「・・・・ん・・・・?」ふと気付いて柱の時計に目をやるマリ。

「って言ってる場合じゃ無〜い!!」8時33分を示す時計に、大慌てするマリ。(笑)


第13話。
遂に始まったアルメの侵攻。劇も中断され、聴衆もいなくなった講堂。萩乃が跳び去って残された祐子先生と仲間たち。恐怖と困惑がないまぜになり、思わず萩乃の「裏切り」を口にする親衛隊・・・。その声に、踏みにじられ、置き去りにされた劇のプログラムを拾い、胸に抱きしめたままのミッチーが叫ぶ・・・。

「違います!!」皆に背を向けたまま絶叫するミッチー・・・。その声に驚く仲間たち。

「ミッチー・・・」潤んだ目で見つめるマリ・・・。

「千光寺さんは・・・千光寺さんは・・・きっと、わたしたちを護るために出て行ったんです・・・」肩を振るわせて訴えるミッチー・・・。目を伏せる親衛隊・・・。

「だって・・・誰よりも一生懸命に・・・このお芝居をやろうとしてくれてて・・・」痛ましそうに見つめる朱音と船津丸・・・。

「わたしと・・・頑張ろうって・・・約束したんです!」泣きながら皆に向き直るミッチー・・・。

「うっ・・・」打たれる祐子先生・・・。

「地球人じゃないかもしれないけど・・・スパイなんかの訳ないじゃないですか!」涙を流しながら、顔を上げ訴えるミッチー・・・。

「頭がとっても良くって・・・勉強もスポーツもすっごく出来て・・・あの千光寺さんが・・・」震える手でプログラムを握りしめ、笑顔を浮かべながら・・・泣くミッチー・・・。

「スパイなんかの訳・・・ないじゃないですか・・・」顔を伏せ・・・肩を振るわせるミッチー・・・。

轟音とともに揺れる講堂・・・。

「さあ・・・とにかくみんな裏の林に!」気を取り直して、舞台上の仲間たちに呼びかける祐子先生。うつむいたままのマリ・・・。

「・・・・・!!」意を決したように顔を上げ、舞台から駆け出すマリ。

「あっ!マリちゃん!!」驚く祐子先生と仲間たち。

「あ・・・マリさん・・・・」マリの背中を見送るミッチー・・・。

萩乃と同じように・・・白い光に包まれ・・・消えていく・・・マリ・・・。




>Sospirandoは、音楽用語辞典では「嘆いて.苦悩に満ちて.悲しみに沈んで」とある

文字通りの曲ではありますが淡々とした美しい曲です。確かに「記憶」に苦しむ萩乃の為の命名と思えますが、13話を除くとそのような意味合いは薄く、少女たちの心の交流場面という感じです。

13話は余りに悲しく・・・美しい場面です。第1話で流れる第8曲 Nostalgiaと同じ台詞が聞こえて、この場面の悲劇性を際だたせます・・・。その場面に居合わせた仲間たち・・・全員にとっての悲しい記憶・・・。

サウンドトラックも初出順に並んでいますから、結末に向かって次第に辛い曲が多くなります。でも・・・しっかりと見つめなくては・・・。ラブ

2008.10.26 Sunday

リチャード・ペック「ホーミニ・リッジ学校の奇跡!」

ホーミニ・リッジ学校の奇跡! (sogen bookland)
ホーミニ・リッジ学校の奇跡! (sogen bookland)
リチャード・ペック著 斎藤 倫子訳 (2008年4月刊)

う〜ん・・・中々面白い本です。

表紙は裏表紙と合わせて一枚の絵になってます。表側は馬車に乗った人々の様子が、裏には真っ赤な・・・箱形のスポーツカーが。それぞれが同じ交差点にさしかかって、パニックに落ちいっている絵です。当然ことながら、この絵は本の内容を表しているわけで、実はこれ、20世紀初頭?のアメリの、片田舎の道で起った珍しい交通事故の様子です。ちょっとつたない感じの絵で何となくコミカルな雰囲気もありますが、あの時代を象徴する一コマと言うことです。

題名からも分かるように、この物語は「あの頃」の小さな学校が舞台。「大草原の小さな家」と同じ頃?のアメリカの片田舎。開拓者一家の子供たちが通う学校は、地域の人々が手弁当で作り上げたような建物。一クラスしかない学校の夏休みから物語は始まる。

突然病死した厳格な女性教師。それをきっかけに15歳の主人公ラッセルと10歳の弟ロイドたちは色めき立つ。生徒が8人いなければ、教師がいなければ・・・廃校となることを願うのは勉強嫌いの男の子たち。(笑)ところが、新学期が始まって後任として赴任してくることになったのは・・・ラッセルの姉・・・町の高校で、新学期から3年生になるはずのタンジ−だった!

学校とは無縁の家庭から初めてやってきた新入生は、6歳の少女「ちびパンツ」。(笑)これで合計7人。そして、タンジーの必死の掛け合いで、地域の鼻つまみ一家からも19歳?の少年が一人・・・。かろうじて集まった8人の生徒たちに混じって、兄弟にとっては悪夢のような日々が・・・後々「奇跡」と呼ばれる日々が始まる!

さすがにあの時代の物語です。登場人物も、独りよがりで強情で「危ない」人々など、一癖の二癖もある強烈な連中が・・・。(笑)かと思うと兄弟の父親のように長い目で、じっくりと考えるタイプも・・・。個性的なのに憎めない人々と新米教師、そして悪ガキたちの、笑えるエピソード、心温まるエピソードが綴られていきます。

前半はかなり危ない場面が続きますが、後半は「奇跡」の光景や、「危ない」人々の意外な素顔、後日談も・・・。全体としては、「古き良き開拓時代のエピソード」という雰囲気で、児童向けの体裁ではありますが、典型的なアメリカ小説?の良質な作品ではないでしょうか。

興味深いのは「奇跡」の中身ですが、これは読んでのお楽しみ。(笑)ま、一言で言えば、貧しい環境を逆手にとって生徒たちの学力を伸ばし、強烈な意志によって子供たちに明るい未来を与えた教師の物語とでも言いましょうか。彼女の努力がなければ、地域にとどまって親の農場を継ぎ貧しい農民として一生を送ったであろう子供たちが、大学に進学し、著名人となったり、都会に出て中産階級として幸福な生活を送る・・・。物語の幕開けの日常から言ったら信じられないような「奇跡」のお話ですね。

面白いのはそんな日常の中でも、やはり「恋」が重要なこと。(笑)

兄弟にとっては「恐ろしい」姉に「恋」する男の子たち。(笑)新米教師の奮闘ぶりに悲喜こもごもの恋模様も絡んで楽しめます。そして・・・最後にはしんみりと、思わず微笑む結末が・・・。「ちびパンツ」・・・可愛いかったんだろうね。(笑)

巻末の献辞によると、この物語は、どうやら作者の両親の体験をもとに構想されたお話のようです。高校へ行くことでさえ珍しかったあの時代に、「弟」たちの未来を見据えた「姉」の、意志の力が強烈です。

「どうしてか、教えてあげるわ、ラッセル・カルヴァー。ロイド(弟)のお手本になってもいいころだからよ。私の弟でいるんじゃなくて、ロイドの兄さんになってもいいころだから。あんたに尊敬できるようなところがあったら、ロイドはあんたを尊敬するわ。そして、ラッセル、これから言うことを良く覚えておきなさい。あんたがしないですませることはすべてロイドの肩にかかることになるのよ。あんたが犯す過ちはすべて、ロイドの言い訳になるの」それで終わりだった。タンジ−は顔をそむけ、わたしの運命は決まった。わたしはしっかり勉強して、立派な人生を送らなくてはならないということだ。そうする以外、なにができたろう?

なぜ自分が高校へ?大学へ?「そんなに学校にいたら老人になっちゃうよ」、という弟ラッセルに対する姉タンジーの宣告!(笑)の場面ですが、思わず自分の過去を考えて反省したくなります。ああ・・こんな姉がいたら・・・。(笑)

「学ぶ」と言うことは、確かに「楽しい」ことでもありますが、それに気付くまでにはこのような「厳しい導き」も必要なように思えます。現代日本の「教室」にそれがあるのか?あって欲しいと・・・祈ります。

日教組が好きでも嫌いでも、子供の未来を考える人だったらお薦め。そうでない人もそれなりに・・・。(笑)読書

2008.10.26 Sunday

ぬくもり

しばらく前の毎日新聞からちょっと良い話を。

「発信箱」という小さなコラム。社会部記者による記事・・・・。

『鳥が翼を休める止まり木のように、人に安らぎを届けてほしい・・・・・・。両親が願いを込めて名付けた快枝(よしえ)さん(52)。絶やさぬ笑顔をその裏に、長い間封印してきた悲しみがあった』

と始まり、東京自殺者防止センターが開催したワークショップの概要が説明される。「頑張れ」の言葉や安易な価値観の押しつけは絶望の底にいる人々には届かず、この国では連続10年3万人を超える自殺者が出ている。その事実を前に、全国から集まった37人が「国際ビフレンダーズ憲章」を基本精神に電話相談や遺族のケアについて学び、模擬演習を繰り返した3日間だったが、その最終日に・・・。

『快枝さんの目から突然、涙が噴き出した。「親友が自殺して。私、何もできなかった」。ハンカチを握り締めた手を小さく震わせ、絶句する。いつしか、傍らから伸びた手が次々と重なり、眼差しを上げると、小さくうなずく仲間たちがいる』

後日、快枝さんが記者に言う。

『あの時、手にぬくもりを感じたの。みんなで悲しみを分かち合ってくれたような気がして。私も、さりげなく手を重ねることができる人になりたいな』

重ねられた手と手、そのぬくもりが人の心に希望の光を灯す・・・・。悲しみも苦しみも分かち合える仲間。言葉が出てこなくても、さりげないふれあいだけでも良いんだよ・・・まずはそこから始めよう・・・・と言う事ですね。

何だか暗い予感に怯えるような日々が続いていますが、ほっとします・・・。ハート大小

2008.10.24 Friday

放送予定

今週は仕事に追われて非常に苦しい・・・。(笑)

下書きはいくつかあるけれどまとめる余裕が無いので、時間的に厳しいヤツを書いておきましょう。

まずは明日の夜のNHK−TVから。

ウイークエンドシアターはベルギー王立モネ劇場の「グレの歌」。これはとても美しい曲だから聞き物かも。ファスベンダーが出てますが・・・何歳なのかな?

「グレの歌」に続いて「ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート2008」。余りに普通の曲目にちょっと驚き。(笑)

日曜日朝のハイビジョンクラシック館は「レクイエム〜死者のためのミサ曲〜」。サー・コリン・デーヴィス指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団と言うのは・・・意外と凄いのか?(笑)

日曜日夜のN響アワーは「アメリカのバルトーク」。意外と面白いかもしれない。

続いてはFM。

日曜日午後2時からは「サンデークラシックワイド −特選アラカルト−」。「ギター・フェスタ2008」と銘打ってギター曲が20曲ほども・・・たまにはいかが?(笑)

水曜日のベストオブクラシックは「第1630回N響定期公演」。ラフマニノフとレスピーギという組み合わせ・・・何かありそう?お、サントリーホールからですね。

金曜日は「バッハ・コレギウム・ジャパン演奏会」。これは・・・是非聴きたい・・かな?(笑)響きが命のBCJ・・・ミューザ川崎か・・・大丈夫かな?


と・・・色々あります。お好みでどうぞ。ムード

2008.10.19 Sunday

放送予定

ここのところ、仕事が忙しくてちょっウォッチしていなかったのですが、先週は良いのがありましたね。パリの「ペレアスとメリザンド」ウィーンの「二人のフォスカリ」・・・今更だけど・・・。(笑)

今日の深夜BS2のクラシック・ロイヤルシートは「サントリーホール公演 歌劇フィガロの結婚」がありますね。ちょっと注目かな。

今夜のFMのオーケストラの夕べは「兵庫芸術文化センター管弦楽団定期演奏会」から。佐渡裕の指揮ですが、プログラムは知らない曲ばかり・・・意欲的・・・なのでしょうか?

明日からのFMベストオブクラシックは「ヨーロッパのオーケストラ」特集ですね。

月曜日はチョン・ミンフン指揮フランス放送フィル。火曜日はウェラー指揮ベルギー国立管弦楽団、水曜日は別番組でジャナンドレア・ノセダ指揮N響の生中継。木曜日はトーマス・ダウスゴー指揮デンマーク国立放響。最終日の金曜日はダニエル・ハーディング指揮スウェーデン放響

チョン・ミンフンの演奏会には何と庄司紗矢香が登場!!そしてハーディングの演奏会はブルックナーの交響曲第9番で、新版による演奏らしい。ま、聞いても分からないだろうけど・・・。(笑)

のんびりしているといつの間にか11月になりそうだから、予定をしっかりチェックして行きましょう。ムード

2008.10.19 Sunday

ルーシー・M.ボストン「グリーン・ノウのお客さま (グリーン・ノウ物語 (4))」

グリーン・ノウのお客さま (グリーン・ノウ物語 (4))
グリーン・ノウのお客さま (グリーン・ノウ物語 (4))
ルーシー・M.ボストン、ピーター・ボストン絵、亀井 俊介訳 (2008年9月刊)

1961年に出版されたグリーン・ノウシリーズの第4作です。出版された年の英国カーネギー賞を受賞した作品。表紙と挿絵は著者の息子さんによるものです。画面上ではわかりにくいのですが、主人公の少年と何故か?ゴリラが見えます。(笑)

今回はいつものようにオールドノウ婦人が登場。前作でも登場した中国人難民の少年ピン
も再度登場し、婦人とともに夏休みの日々を過ごすことに。

題名からは何やら上品な雰囲気が感じられますが、読んで見ると唖然・・・。(笑)

冒頭は、アフリカの密林の中で暮らすゴリラたちの生態が延々と描写されます。まるで見てきたかのようなその描写は凄いですね。単なる「想像」で書ける内容ではありません。群れの中の序列や権力争い、親子関係や日常の暮らしぶりが生き生きと書かれていて感心します。そして、物語は群れを襲う悲劇を経て、イギリスの動物園の檻の中で暮らすゴリラ「ハンノー」の描写に移り、少年ピンとの出会いを通して、ゴリラと少年の感動的な交流の様子がきめ細かに綴られて行きます・・・。

誇り高きゴリラのハンノー。そして、まるで偉大な人間のように見えるハンノーに共感し、その境遇にいたたまれない思いを抱く少年ピン。二人(一匹と一人)はグリーン・ノウの森で奇跡的な再会を果たし交流を重ねていく。そして、結末は・・・無理解な大人たちからハンノーを護ろうとするピン、ピンを護ろうとするハンノーの思いが重なった所で突然の別れがやってくる・・・。このクライマックス・・・思わず泣けます・・・。

グリーンノウ婦人は終始暖かくピンを見つめます。結末においては、ピンと、それまで存在を知らなかったハンノーの思いを一瞬のうちに理解し、他の大人たちの振る舞いに憤慨しつつ二人を護ろうと奮闘します。そして、悲しみに沈むピンを優しく受け止め、最後には笑顔をもたらす・・・。

実は、読み始めて最初に感じたのは、英国のマナーハウスが舞台のお話なのに何故ゴリラ?何故中国人の少年が?と言うことでした。「お客様」と言うにはかなり風変わりですし、紅茶の「香り」と言うより、森の「匂い」がしてくるような物語になっているからですが、後半になると気にならなくなります。それは、最初から最後まで一貫した、とても丁寧で暖かな筆致のおかげでしょうか?婦人とピンの会話や、ピンとハンノーの交流の様子、それらの全てが、きめ細かく生き生きと描かれているからですね。その書き方は、他に例が無いと思えるほどの徹底ぶり、と言っても過言ではないと思えます。

ジャングルの哲人とでも言うようなハンノー、辛い過去を持ちながらも常に人を魅了するピン、全てを包み込んで存在する館、それを体現するかのような婦人の人柄がそのように描かれていきます・・・。

同時に筆者は、ハンノーの中に現代人の愚かさと失ったものを、ピンの境遇と人柄にあの時代の悲劇と未来への希望、そして何より人間への信頼を描いているようでもあります。20世紀のあの時代に、このような文明批評とも思えるお話を、しかも児童向けに書いたというのは、あの国のもつ度量の広さと言うべきなのか、それとも、筆者個人の人格のなせる技なのか?ちょっと分かりませんが驚かされますね・・・。

児童文学の古典と言われる?作品であり、はっきり言えばちょっと古い面も確かにありますが、逆に言ったら、現代の作品では味わえない「暖かで揺るぎない視点」を感じます。一読をお薦めしましょう。グッド

2008.10.15 Wednesday

「了承」と「諒恕」

先日の毎日新聞の記事から一つ。

「校正」担当記者による「為になるお話」というような内容の小さなコラムでしたが、今回取り上げられていた「言葉」が印象に残りました。

それは「了承」と「諒恕」という言葉。

政治家の引退会見か何かのTVの放送を聞いて、記者が「了承」と書いた所、先輩記者から「諒恕」と言ってなかったか?と聞かれ、確かめたらその通りだった・・・というような話しでした。今は亡き先輩記者に対する不肖の弟子の思い出と言う雰囲気だったかな?

「了承(りょうしょう)」(事情をくんで納得すること。承知すること。〜goo辞書)という言葉は良く聞きますね。「ちょっと変だけど気にしないでね〜!」という感触の言葉ですが、お役人様がミスを誤魔化そうと、「さりげなく」使う便利な言葉と言った方が良いかな?(笑)

さて「諒恕(りょうじょ)」とは・・・・。

『相手の事情を思いやってゆるすこと』(〜goo辞書)

政治家の「出処進退」は、文字通りの政治生命をかけた重大な決断です。「辞める」と決めた政治家に細々と事情を聞いたり、しつこく翻意を迫るという話しは良くありますが、本人にしてみれば「苦痛」でしかないことです。それでも地元関係者や利害関係者?にとっては中々納得しがたいのも事実、どうしても一言言わずにはいられない・・・。

そこで使われたのがこの「諒恕」という言葉・・・。

「武士の情けじゃ・・・静かに見送ってくれ・・・」と「懇願」したい気持ちを匂わしているような感じです。(笑)

実際のところ、今時の政治家だったら「説明責任」が問われますから「静かに見送る」わけにはいかないと思いますが、旧世代の「古い」政治家だったら言いそうですね。そして、周りも納得する・・・意外にありそうです・・・。

ただ・・・格調が高いだけに・・・若い人は使えないな。(笑)

こんな言葉、今時の若者は知らないでしょうから言わないし、言われても分からないでしょう。もちろん私もですが・・・。(笑)

昔の人は、背筋のピンと伸びた、人間的にも真っ直ぐな人が少なくなかったと言われますが、当然そのような人はその人らしい言葉を使った事でしょう。そして、そのような人がいなくなっていくと言うことは、その人によって話された、同じような言葉も消えていくと言うことです。仕方が無い事ではありますが、ちょっと残念ですね・・・。

こんな言葉を口にすることが似合う人間になれるとは思わないけでれど、だからこそ忘れなように書いておきます・・・。鉛筆2

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