2008.08.31 Sunday
冷静な目
昨日と今日の毎日新聞朝刊から少々・・・。
昨日の記事は「きしむ境界 日中韓の底流」という、栗林忠男氏による国際政治に関する5回連載コラムの最終回。
「竹島問題」「東シナ海ガス田問題」「尖閣諸島問題」などの領土問題は、「資源ナショナリズム」の高まりや日中韓の間の「歴史認識」も絡んでどうにもならない泥沼状態に見える。栗林氏は連載の最終回に当たって、これらの問題の処方箋を示していた。
TVなどで見ている範囲では、これらの問題に関しての日本政府の対応は「粘り強く話し合いを続ける」の一言でしかないような感じ、もちろん実力行使など出来るわけも無いから当然だけど・・・。対して、新聞の投書などでは「国際司法裁判所」で処理したら?などという話も時々あり、私も、感情的になり易いデリケートな問題だから裁判所でスッキリやってもらった方が良いなと思っていましたし、実際にシンガポールとマレーシアの間の領土問題はこれで解決したそうだ。
さて栗林氏は・・・「棚上げこそ解決策」と明快。
『問題の解決は境界を乗り越えて発想しないといけない。国境を守っている意味は、自分たちのものであると同時に、開かれたものにするためでもあるという発想が求められる。自国の権益を主張するだけで終わりではないのだ』
『境界を巡る争いの最終的な解決とは、問題を棚上げすることだ。それは問題の先送りではない。漁業・天然資源だけでなく、環境保全や観光面での活用など広い視点で互いが満足する解決を探る方法なのだ』
『そのためには、お互いが何での言い合える信頼関係を醸成することが大切だ。相手を刺激するからといって言うべきことを控える外交ではなく、文化、スポーツなどの交流も通じて、時間をかけても新しい関係を作っていくべきだ』
そうか、所詮どちらかが全面的に「正しい」解決策など有り得ないのであるから、「棚上げ」して双方の利益になる方法を探った方が「得」ということか。たしかにこれこそ「現実的」かもしれない。実際に「東シナ海ガス田問題」はその方向に向かっているようですしね。
そうなると当面の問題は「言いたいことを互いに言い合える関係作り」かな?特に韓国が相手だと大変そうだけど、「導火線」に火を点ける覚悟のある人が今の政治家や役人にいるのだろうか?(笑)
続いて今日の記事から。
「時代の風」というコラムで防衛大学校長五百旗頭真氏が書いている。「インド洋での給油活動」に関して「国際連携が安保の根幹」と説く。
まずは日本とドイツの間のパートナーシップについて触れている。今年4月のアデン湾での海賊による日本のタンカー襲撃事件、1997年アルバニア騒乱時には日本人10名ほども救出、など過去2回にわたって日本はドイツに助けられた。日本もまた、スハルト末期のインドネシアにおける邦人救出作戦においてドイツ人100名余りのケアを託されて作戦の立案までされたという。このときは実行前に事態は収束したため事無きを得た・・・。
さすがに、日米間のパートナーシップを真っ先に取り上げることをしないところがうまい。(笑)
そして対テロリストにしろ対海賊にしろ、日本単独で立ち向かうことは経済的にも政治的にも実際的ではなく、多くの国々との協調によって対応することこそが日本に残された道だと説く。
だから・・・「インド洋での給油活動」も同様だと言う。
確かに「国際連携が安保の根幹」は正しいと思うが・・・現状での「給油活動」続行というのは・・・どうなのだろう?微妙に論点がズラされているような気が・・・。(笑)国会の場での、足の引っ張り合いの片棒担ぎに見えなくもないところが惜しいな。(笑)
五百旗頭氏が民間人だったら余り感じないのかもしれないが、立場が立場だと何だかきな臭いものを感じるのも確か。でも・・・言ってることは正論にも思える。
結局のところ、憲法解釈から始まって堂々巡りをしているような日本の現状が歯がゆい気がする。「普通の国」として「武力行使」を伴う「PKO活動」に参加するのかどうか。そしてそのために必要ならば、「改憲」まで視野に入れた大人の議論をするべきじゃないかと思う。
それこそが「真の国際連携」につながる唯一の道じゃないのだろうか?
なんちゃって〜硬いな〜。(笑)
最後は軽く「発信箱」という小さな署名記事。「いい父親はいない」と題して記者が正直なところを開陳。(笑)
『男は幾つになっても子供っぽい。エゴ、我を捨てきれない。思春期の子を持つ親は大体40代から50代前半だが、それは仕事の出来る時期と重なり、子を忘れがちだ。さらに、人は時代、高齢化と共に幼児化し、今の50歳はかつての30代後半の感覚で生きている。達観からはほど遠い』
その結果、子供との会話が減りいい父親にはなれない・・・。なれるとしてもいい祖父かも・・・と続く。でも最後はそれなりに・・・。
『でも、少なくとも共にいる。1日30分でも、父親の立場を忘れ、子の年齢に立ち戻る。そんな柔軟性が必要なのではないか。愛されるのが人生の目標だとすれば、まずは子に愛されなければ』
はいはい・・・親なんてなりたくてなった訳でもなく、いい父親に、なんて考えたことも無い。だからいいんです嫌われたって。さっさと大きくなって・・・勝手に生きて行ってくれたまえ。
ただひとつ願おう・・・人に愛される存在になってくれれば・・・いいな・・・と。
ちょっと暑くて・・・音楽を聴く気にもならないので思いつくまま書きましたが、自分の子供や家族のことになると中々冷静になれないのが悲しいね。
まだまだ・・・ガキだ。(笑)
昨日の記事は「きしむ境界 日中韓の底流」という、栗林忠男氏による国際政治に関する5回連載コラムの最終回。
「竹島問題」「東シナ海ガス田問題」「尖閣諸島問題」などの領土問題は、「資源ナショナリズム」の高まりや日中韓の間の「歴史認識」も絡んでどうにもならない泥沼状態に見える。栗林氏は連載の最終回に当たって、これらの問題の処方箋を示していた。
TVなどで見ている範囲では、これらの問題に関しての日本政府の対応は「粘り強く話し合いを続ける」の一言でしかないような感じ、もちろん実力行使など出来るわけも無いから当然だけど・・・。対して、新聞の投書などでは「国際司法裁判所」で処理したら?などという話も時々あり、私も、感情的になり易いデリケートな問題だから裁判所でスッキリやってもらった方が良いなと思っていましたし、実際にシンガポールとマレーシアの間の領土問題はこれで解決したそうだ。
さて栗林氏は・・・「棚上げこそ解決策」と明快。
『問題の解決は境界を乗り越えて発想しないといけない。国境を守っている意味は、自分たちのものであると同時に、開かれたものにするためでもあるという発想が求められる。自国の権益を主張するだけで終わりではないのだ』
『境界を巡る争いの最終的な解決とは、問題を棚上げすることだ。それは問題の先送りではない。漁業・天然資源だけでなく、環境保全や観光面での活用など広い視点で互いが満足する解決を探る方法なのだ』
『そのためには、お互いが何での言い合える信頼関係を醸成することが大切だ。相手を刺激するからといって言うべきことを控える外交ではなく、文化、スポーツなどの交流も通じて、時間をかけても新しい関係を作っていくべきだ』
そうか、所詮どちらかが全面的に「正しい」解決策など有り得ないのであるから、「棚上げ」して双方の利益になる方法を探った方が「得」ということか。たしかにこれこそ「現実的」かもしれない。実際に「東シナ海ガス田問題」はその方向に向かっているようですしね。
そうなると当面の問題は「言いたいことを互いに言い合える関係作り」かな?特に韓国が相手だと大変そうだけど、「導火線」に火を点ける覚悟のある人が今の政治家や役人にいるのだろうか?(笑)
続いて今日の記事から。
「時代の風」というコラムで防衛大学校長五百旗頭真氏が書いている。「インド洋での給油活動」に関して「国際連携が安保の根幹」と説く。
まずは日本とドイツの間のパートナーシップについて触れている。今年4月のアデン湾での海賊による日本のタンカー襲撃事件、1997年アルバニア騒乱時には日本人10名ほども救出、など過去2回にわたって日本はドイツに助けられた。日本もまた、スハルト末期のインドネシアにおける邦人救出作戦においてドイツ人100名余りのケアを託されて作戦の立案までされたという。このときは実行前に事態は収束したため事無きを得た・・・。
さすがに、日米間のパートナーシップを真っ先に取り上げることをしないところがうまい。(笑)
そして対テロリストにしろ対海賊にしろ、日本単独で立ち向かうことは経済的にも政治的にも実際的ではなく、多くの国々との協調によって対応することこそが日本に残された道だと説く。
だから・・・「インド洋での給油活動」も同様だと言う。
確かに「国際連携が安保の根幹」は正しいと思うが・・・現状での「給油活動」続行というのは・・・どうなのだろう?微妙に論点がズラされているような気が・・・。(笑)国会の場での、足の引っ張り合いの片棒担ぎに見えなくもないところが惜しいな。(笑)
五百旗頭氏が民間人だったら余り感じないのかもしれないが、立場が立場だと何だかきな臭いものを感じるのも確か。でも・・・言ってることは正論にも思える。
結局のところ、憲法解釈から始まって堂々巡りをしているような日本の現状が歯がゆい気がする。「普通の国」として「武力行使」を伴う「PKO活動」に参加するのかどうか。そしてそのために必要ならば、「改憲」まで視野に入れた大人の議論をするべきじゃないかと思う。
それこそが「真の国際連携」につながる唯一の道じゃないのだろうか?
なんちゃって〜硬いな〜。(笑)
最後は軽く「発信箱」という小さな署名記事。「いい父親はいない」と題して記者が正直なところを開陳。(笑)
『男は幾つになっても子供っぽい。エゴ、我を捨てきれない。思春期の子を持つ親は大体40代から50代前半だが、それは仕事の出来る時期と重なり、子を忘れがちだ。さらに、人は時代、高齢化と共に幼児化し、今の50歳はかつての30代後半の感覚で生きている。達観からはほど遠い』
その結果、子供との会話が減りいい父親にはなれない・・・。なれるとしてもいい祖父かも・・・と続く。でも最後はそれなりに・・・。
『でも、少なくとも共にいる。1日30分でも、父親の立場を忘れ、子の年齢に立ち戻る。そんな柔軟性が必要なのではないか。愛されるのが人生の目標だとすれば、まずは子に愛されなければ』
はいはい・・・親なんてなりたくてなった訳でもなく、いい父親に、なんて考えたことも無い。だからいいんです嫌われたって。さっさと大きくなって・・・勝手に生きて行ってくれたまえ。
ただひとつ願おう・・・人に愛される存在になってくれれば・・・いいな・・・と。
ちょっと暑くて・・・音楽を聴く気にもならないので思いつくまま書きましたが、自分の子供や家族のことになると中々冷静になれないのが悲しいね。
まだまだ・・・ガキだ。(笑)