雪太郎のつぶやき

美しいもの、面白いもの、切ないもの、考えさせる物・・・。一人が好きだけど、独りじゃ寂しい。そんな私のつぶやき・・・・。
クラシック音楽が苦手な人にはお薦めできません。暗いのが嫌いな人にはお薦めできません!!お子様にもお薦めできません!!
[謝辞]
父と母に、家族に、多くの慰めと喜びを与えてくれた、過去、現在、そして未来の芸術家達に、感謝!!
[おことわり]
本サイトはAmazon.co.jpのアフィリエイトプログラムに参加しておりますが、「紹介料放棄」の契約を結んでおり、分類上は「非商用」サイトとなります。


Since 2006. Sorry Japanese version only.

<< December 2006 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

2006.12.31 Sunday

のんびり〜

都内で寮住まいの娘が帰ってきました、「八海山」の一升瓶を抱えて・・・。(爆)
全く・・・・酒の味だけは覚えたようです。(笑)

家には白瀧の「純米大吟醸 湊屋藤助(ミナトヤトウスケ)」も買ってあったので、まずはこちらから飲むことに・・・。ちょっと酔ってます〜〜。(笑)

私は普段、酒はほとんど飲まないので、味の良し悪しも分かりませんが・・・「八海山」・・・美味いそうですね〜・・・後日の楽しみに・・・・。(笑)

さて・・・今年も終わりますね。半年前に始めたこのブログ、何とかここまでやってきました。結構な数の皆様が覗いてくれるおかげで、毎日のように投稿してこれたと思います。感謝申し上げます。来年はどうなるか分かりませんが、よろしくお願いしますね〜。

では皆様、良いお年をお迎えください。熱燗

2006.12.30 Saturday

冬の旅

今日の午前中は、20年前のテープをHDDに落として終わり。フィッシャー・ディースカウが、サントリーホールでやったシューベルトの「冬の旅」のコンサート。この曲って、教科書に載ってたし〜、出だしが暗くてね〜、ディースカウも硬くて暗いし・・・・。(笑)

苦手だったけど、先日の瑞木先生の日記で誉めてたような記憶があって、昨日の夜聴いてみたのです・・・。さすがに他人が良いという曲は良いですね〜。(笑)全24曲、取り込み自体は昨日の夜に2時間くらいかけて終わってたんだけど、編集して、タイトル付けなどやってまた3時間。合計6時間くらいは掛かるわけで、好きでないとできないな〜。(笑)(昨夜は、ついでにコンデンサー・ヘッドホン2台のイヤーパッドも交換してしまいました。)

困ったのは、拍手がね〜・・・。(笑)

一人だけ、途中で叩いたり、全曲の最後・・・沈黙が続くかな〜〜???と思った所で「ファンタスティック!!」とかドイツ語で叫んだり・・・。同じおっさん!!お前だよ〜お前!!!首絞めちゃうぞ〜〜!!と思いましたが。(爆)

仕方なく編集でカット・・・手間でした。(汗)

も一つ困ったのが・・・最後の曲「辻音楽師」の出だし。前の曲から、ピアノの伴奏が切れ目なしで続き、和音をポン・・・ポンと2回叩くんだけど・・・。この和音、前の曲か最後の曲か???どっちだ!!!!!譜面もCDも無いので分からない〜〜!!(笑)

ま〜、後で調べましょうという事で・・・疲れました・・。(笑)るんるん

2006.12.30 Saturday

寒いけど

午後は、思い切って洗車とワックス掛けなどを・・・・。北風がピュ〜〜〜〜!!(爆)

いや〜寒かったけど〜なんとか。

雪国の人間にとっては、冬寒いのは当たり前でどうという事は無いんだけど、関東は・・・、雪が無いのに寒い!!昔はこれが許せなかったな〜〜。(笑)今日も日陰で風がある状態だったけど、頭から水をかぶったら大丈夫でした・・・・って訳ないでしょ!!(爆)

雑巾を水で絞ったら・・・ヒェ〜〜〜!!!!!!冷たい〜〜〜〜!!!!!!!!!(爆)

血圧の高い年寄りだったら・・・即死コースでしたね!!(笑)

でも我慢してやってたら・・・・ポカポカとしてきて・・・快適でしたよ〜。手の平が熱を持って、体全体も暖まって・・・。きっと凍死する時の感覚なんでしょうね。(笑)

今時洗車機だよな〜〜と思いながらも、半年に一度くらいは・・・と。手でやると細かな傷もわかって良いのですよ。10年は乗るんだからね〜。車

2006.12.29 Friday

大人が絵本に涙する時

大人が絵本に涙する時
大人が絵本に涙する時
柳田 邦男

う〜ん・・・恥ずィ〜かな??(笑)

と、ちょっと思いましたが、真面目な本ですよ。(笑)

柳田邦男と言えば・・・有名な方ですね・・・それだけは知ってます。(笑)

6年くらい前から、絵本に関わるようになり、「大人も絵本を」と言う活動を続けてこられたということです。この本は、その辺の活動や雑誌記事、連載などをまとめた物ですね。

有名無名?沢山の絵本が紹介されています。アマゾンでは「絵本はユーモア、悲しみ、思いやりなど、生きるうえで大切なものに深く気づかせてくれる。心の潤いを取り戻すために、大人こそ絵本を読もう。柳田邦男が愛する80冊の絵本を紹介。 」と。

大きく言えば、病気や別れ、孤独などで精神的に苦しむ大人も、絵本を読むことで「癒し」が得られるという事でしょうか。人間的に柔らかく、感性豊かになり、人生が明るく過ごせる?そんな内容ですね。目新しいのは、それは個人だけではなく、家族、友人、地域社会も含めての拡がりがあると言う点で、その説明が著者の活動の紹介も交えて書かれています。

読んでいて「あっ」と思ったのは、先日投稿した「養護施設出身 23歳 「心の壁」と分かれる日」で書かれていた「人生に最初から意味があるわけではない。意味は自分で作るものなのだ。」というオーストリアの精神科医、フランクルの言葉がこの本にも出てきまして・・・。フランクルという人は有名な「夜と霧」の著者なんですね。(読んだこと無いけど・・。)一部引用します。この文は「生き方のコペルニクス的転回」と題した部分で、「ともだちからともだちへ」という、クマネズミが主人公の絵本について説明しているのですが・・・。

明日ガス室で殺されるかもしれないという状況の中で、今日を生きる意味はあるのかという、極めて厳しい問いに対する答えの出し方についてだった。フランクルは「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」(霧山徳爾訳、みすず書房)の中で、こう書いているのだ。「ここで必要なのは生命の意味についての観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待いるかが問題なのである。」これをわかりやすく言うと、生きる意味というものは、何かいいことがあるだろうと受身でまっていたのでは見つからない、たとえ絶望的な状況下であっても、自分は最後までこう生きたと人生の物語の最終章を自分で書いてはじめて、それが人生から期待されたことへの答えとなるものであり、人生の意味になるのだ、というのである。

これが、「友達がいないと嘆くのではなく、自分から誰か悩める人のところへ出かけて行ってこそ、本当の友達になれるのだというクマネズミの気づきは、まさにフランクルの言う「人生の答え」の出し方の図式そのものと言えるだろう。絵本はあなどれない。人間が生きるうえで、一番大事なことを語っているのだ。」と続く・・・・。

う〜ん。まさに人生哲学ですね。この辺はちょっと難しいけど、他の部分は分かり易い内容だと思います。

フランクルについては別のページで、自然をテーマにした絵本の話の中でも取り上げています。(以下大意)

強制収容所という極限の状況でも、生き生きとした表情を失わない病気の少女に、フランクルが問いかけると・・・。窓の外の一本のマロニエの樹をみて答えた。「あそこにある樹はひとりぽっちの私のただ一つのお友達ですの」「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる・・・私は・・・ここにいる。私はいるのだ。永遠のいのちだ・・・」彼女はその日息を引き取った。自然の存在が彼女の内面的な拠り所となっていたがゆえに、最期のときまで目に輝きを持って生き抜けたというのだ。

著者は自ら翻訳した絵本についても取り上げています。ここで「エリカ 奇跡のいのち」という今年の夏に出版された絵本の、原作との出会いの場面を引用しておきましょう。

生年月日も生まれた町も両親の名前もわからなかったので、育ての親の女性が推測で誕生日と名前を決めてくれたという。だから、出来事の経過は、すべて推測の文体になっている。「そとから(貨車の)とびらがしめられ、鉄の棒がさしこまれる音がひびいたとき、両親はきょうふで気をうしなわなかっただろうか?」「お母さまとお父さまは、そのだいじな決心をいつしたのだろうか?」「お母さまはわたしに、「ゆるしてね、ゆるしてね、ゆるしてね」といってくださったと思うの」・・・・といった自問自答が積み重ねられていくのだ。その表現によって、闇の彼方のユダヤ人一家の悲劇が鮮烈に浮かび上がってくるのだ。そして、最後の場面近くなって、母親が赤ん坊を貨車から外に放り投げたことを、エリカが、「お母さまは、じぶんは「死」にむかいながら、わたしを「生」にむかってなげたのです」という言葉で表現している文章に出逢ったとき、私は激しく心を揺さぶられ、Sさんに言った。「凄い本ですね。私に翻訳をやらせてください」

この本には、著者の絵本に対する、熱い思いがいっぱい書かれています。たまたま収容所関連を書きましたが、これはごく一部で、広いジャンルにわたって書かれています。最近の子供たちのこころの問題から、広い世界のお話まで。どちらかと言うと地味な本で、お涙頂戴の書き方ではないんですが・・・・あちこちで・・・結構泣けました〜。(笑)

なんだか心が疲れた・・・と言う方、読んでみてください。読書

2006.12.27 Wednesday

「ゴーストハント」第13話

第13話     FILE5 「サイレント・クリスマス」 #2

「ケンジの霊に憑依された麻衣はリンにまとわりつくようになる。リンはケンジの父親に似ているのだ。リンは迷惑この上ないが、無愛想なリンが振り回されている光景に滝川や綾子は笑いが止まらない。しかしたまりかねたリンが冷たく突き放すと、ケンジの霊はひどく傷つき、麻衣に憑依したまま姿を消してしまう。憑依をするケンジの霊の切ない願いとは・・・。そしてナルたちは麻衣を探すなかで事件解決の手がかりを見つける。」(〜TV東京HP)

怖いかと思ったら・・・題名の通りの、静かなクリスマスの物語でしたね。

「クリスマス・イブの日、お父さんが迎えに来てくれる・・・だから教会に戻らなくちゃ・・・。」ケンジの願いは「見つけてもらうこと」だった。

霊だ、憑依だというと、普通の人間は「怖い」と思ってしまう訳だけれど、ナルは、あくまでも冷静に、霊の「理由」を知ろうとする。悪い霊がいるのではなく、「理由」を知ろうとせず闇雲に怖がる人間が、勝手に「悪い霊」と決め付けているだけなんだと。

ケンジの「理由」を素直に推測、解釈して真実を諭し、逝かせてあげられたわけですね。特別な技は使わなかったけど、あれも立派な「浄霊」でしょう。

麻衣が憑依されたというのも、「子供」という事もあるけれど(笑)、彼女の優しさがケンジには感じられたんでしょう。傷つきやすい子供にはピッタリだった?(笑)

派手なアクションを期待すると、肩透かしを食ってしまう展開ですが、これこそ小野不由美と感じます。根底には、「切ない存在」に対する「愛」が流れていると思います・・・。

エンディングも特別バージョン・・・聖夜にふさわしい、心温まる素適なお話でした。おばけ

2006.12.25 Monday

ドラマ「のだめカンタービレ」第11話

聖夜にふさわしい最終回でしたね。

野田家での千秋が・・・ちょっと引きましたが・・・。(爆)

シューベルトを弾き、祖母の拍手からコンクールの舞台での高揚感を思い出したのだめ。そうか・・・演奏者にとって、拍手はあんなに素晴らしいものなんだと気付きました。なんだかグッときましたね・・・。今までも、演奏会では結構一生懸命拍手してきましたが、より一層がんばりましょうか。(笑)

最後の演奏会の場面、休憩時間中の場面、みんな泣いていたのか?千秋も目が真っ赤だった。出演者全員が感極まったと言う感じでしたね。彼ら一人一人にとっても、思い出深い物語だったのではないでしょうか。演奏場面も細かな部分まで映されていて良かったと思います。

サントリーホール(スポンサーがサントリーでしたね)での収録だった演奏会の模様は、クラシック初心者の人達にとっても、面白かったのではないでしょうか?日常と異なる空間で音楽を聴くという行為は、ちょっと想像しにくいかもと思いますのでね。あの光景を見て、実際に会場に足を向ける人達が増えることを期待したいですね。

ミルヒーが「音楽を演奏できることの喜びを改めて感じている」?とか言ってましたね。
音大を出ても、オーケストラなどの就職はほとんど無理な状況は、これから先も変わらないでしょうが、音楽を捨てずに、できる範囲で演奏を続ける人達が増えることも期待したいですね。

このドラマによって、多くの聴衆と演奏者が生まれ、それらの人々がお互いに良い影響を与え合って、素晴らしい音楽体験の場が増えたらな〜と思います。

何はともあれ・・・フジTVに感謝!!ムード

2006.12.24 Sunday

ノリントン/N響 モーツァルト 交響曲 第39番

ワイン(安いぞ!!)を飲みながらNHK教育TVを見たら、ノリントン/N響のモーツァルト 交響曲 第39番が流れてきて・・・。

聞いてビックリ・・・・楽しい・・・。(笑)

ピリオド奏法によるそれは、明快で快活な、爽快?ともいえる演奏。尖がっているともいえる演奏は、音楽って楽しんで良いんだと再確認させてくれるように感じました。何となく「高級和菓子」の感じがしていたモーツァルトが「うまい煎餅」くらいには思えてきたかな??(笑)昔放送されたトレバー・ピノックの、モーツァルト交響曲全曲演奏会のテープでも聴いてみようかと思います。

でも明日からはバイロイト音楽祭の放送も・・・・本も読みたいし仕事も有るし・・・・あ〜〜〜ん。(笑)ワイングラス

2006.12.24 Sunday

「十二国記」BS2で再放送!!

たまたまNHKのHPを見ていたら予告が!!

「2007年1月9日(8日深夜)より
毎週火曜(月曜深夜)午前0:25〜0:50、BS2にて再放送する予定です。」

沢山の人に見てもらいたい作品です。ラブ

2006.12.24 Sunday

先週の新聞

毎日、新聞見てますが(讀賣朝刊のみ)結構無いんですね、これはと言う記事が。(笑)

忘れないうちにこの間の続きを。すぐには取り上げなくてもそのうち〜という記事は結構溜まってるんですが・・・・。仕事が忙しくなって、精神的に余裕がなくなると書けませんしね。(笑)以下大意。

「人を信じていいんだ」「養護施設出身 23歳 「心の壁」と分かれる日」

両親の不仲、育児放棄のため、小学校4年の頃から各地の養護施設で育ち、社会福祉学科で学ぶ大学3年生の経験談。小さい頃は父親から逃げようとする母親に連れられて、全国を転々、友達もできず家に引きこもった。親に振り回されることを嫌い施設を選んだが、父親は中3の時に死亡。高校では、心の中で「自分はみんなとは違う」と感じて壁を作っていた。

大切にされた経験がないから、ひとを大切にできず、誰とも信頼し合えない。そんな思いに囚われていた。進学後も心の壁はなくならなった。私が生きることに意味は有るのだろうか。そう考え、死にたくなることさえあった。

大学2年の時、母親とやり取りしている連絡帳に「人生に最初から意味があるわけではない。意味は自分で作るものなのだ。」という言葉が母親によって書かれていた。ナチの強制収容所を経験したオーストリアの精神科医、フランクルの言葉。それは、今まで彼女が支えにしてきた言葉だったが、母親も同じ言葉を支えにして生きてきたと分かった。

「私だけじゃなかったんだ」と、はじめて気持ちが自分の外に開いていくのを感じた。

3年生になって、同じ大学の学生に、自分と同じ経験をし、同様の孤立感を抱いて生きてきた女性がいると知った。児童擁護施設を出た人間同士で、悩みを語り合い、互いに支えられる場を作れないか。そう考えて今年3月に勉強会を作り、来春には、広く施設出身者が集い、語り合えるサロンをスタートさせる準備を進めている・・・・。

過去に踏ん切りをつけるために大阪を訪れ、12年前に2年間過ごした施設を訪れると、「ああ懐かしい」と女性職員が駆け寄り、泣き出しそうな笑顔で両手を取った。両親と住んだアパートの近くのたこ焼きやのおばさんも「よく買いに来てくれた子やね」と喜んでくれた。過去は偽物ではなかったと実感した。

「誰もが人から大切にされ、誰もが人を大切にできる存在なんだ」

彼女はそのことを、多くの人に伝えていこう思っている。

病気や別離など、いろんな経験をして精神的に苦しんでいる人達の為の、語りの場を作ろうという運動はよく聞きますが、このような人達もいるのですね。確かに一時的な経験ではすまないだけに、心の傷の深さも半端では無いかもしれません。最近の、児童虐待からの緊急避難のための施設入所、などという事も聞きますから、子供たちの心のケアも考慮すべきことなんですね。ホットコーヒー

2006.12.23 Saturday

ドラゴン・キーパー最後の宮廷龍

ドラゴン・キーパー 最後の宮廷龍
ドラゴン・キーパー 最後の宮廷龍
キャロル・ウイルキンソン

ツタヤで立ち読み・・・・・飛ばし読みしている内に、読了してしまった!!ゴメン!!(笑)

児童書コーナーの沢山の新刊の中で、派手すぎず、しかもファンタジックな表紙に惹かれて手にとって見たら、いや〜面白い〜〜!!

昔の中国?らしい国が舞台。皇帝に飼われている龍を預かるドラゴン・キーパーに、奴隷として仕える女の子が主人公。龍の世話をするうちに、言葉が分かるようになり・・・・、意外な結末に向かって飛翔する物語。十二国記や彩雲国物語、獣の奏者の雰囲気も・・・。深刻な場面は無くて気楽に読めます。

作者はオーストラリア人と、あとがきに書いてあったと思いますが、飛ばし読みのためか?最初のうちは無国籍な感じがし、途中で中国と分かりました。(笑)そんな世界を舞台にした、龍との交流を通しての、女の子の成長と旅立ちの物語ですね。色々波乱が有ります。

面白いのは龍の話す格言めいた言葉の数々。禅問答のようなのも有りますし、意外と奥が深い物語かもしれません。もう一度読んでみないとなんともいえませんが・・・・・。とりあえず図書館に予約。(笑)読書

▲top