2014.03.23 Sunday
蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- 第04話 「横須賀急襲」
さて、第4話・・・4月から再放送が始まるそうなのでさっさと・・・。
第4話では、401と大戦艦「ハルナ」「キリシマ」2隻との大海戦が描かれます。このシリーズも後半になるほど重苦しい雰囲気が漂いますが、格好良い戦闘場面や戦術の見事さに絞って観ることができるのがこの4話と言えます。また、メンタルモデル「キリシマ」のご尊顔を拝める最後のチャンスでもあります・・・。(笑)
冒頭、2隻による傍若無人なまでの攻撃(2話において群像が危惧した陸上への攻撃)と、その最中でのハルナの趣味である?「言葉集め」の様子が・・・。人間の「悲鳴」を機械的に処理していくハルナは「兵器」としては正常であろうともやはり不気味です。でも、第5話6話での「変貌」を際立たせる重要な場面でもあります。また、彼女が口にした「言葉は始原、美しいシステム・・・」という聖書(「はじめにことばがあった。ことばは神と共にあり、ことばは神であった。」新約聖書 ヨハネによる福音書1:1)にも通じる一言は、言葉こそ人間の存在理由という「真理」を表し、このシリーズ全編の世界観の一部とも思われる非常に重要なセリフです!!
感情を一切交えないハルナの言い方にはそこまでの意識はないようですが、言葉自体の「意味」は強烈で印象的な場面の一つですね・・・。
そして激しい戦闘の顛末は・・・細かいことは省くとして・・・。(汗)
スペック上も圧倒的に不利な状況の中、401は地の利を最大限に生かして戦ったが、大戦艦2隻が前後に合体した上での超重力砲の標的としてロックオンされ絶体絶命のピンチに!!その刹那・・・索敵演算能力の間隙を突いて放たれた浸食魚雷・・・最後の1発が着弾!!2隻はもろくも瓦解し、夜空を背景に美しい大爆発の情景を見せた後、銀砂となって降り注ぎ・・・跡形もなく消え去った・・・。
次々と繰り出す401の奇策、対する大戦艦の物量戦、一瞬のタイミングのズレが致命的な結果をもたらす場面や、よく見ていないと分からなくなる部分等のテクニカルな面での見所も多いのですが、ストーリー的に大きな見どころはメンタルモデル「キリシマ」の「激情」と「後悔」でしょう。
人間が関わった為攻撃パターンが読めなくなった401との対決に、冷静なハルナは「(ヒュウガやタカオの様に)我々は後悔することになるのかもかもしれん・・・」と予言するが、「ばかばかしい」と一笑に付したキリシマは、時に「激情」を見せて感情エミュレーターの数値を大きく変動させながら応戦・・・。そして、401の反撃を悉く封じて勝利を確信したキリシマが大見得を切った次の瞬間の・・・着弾!「負ける」と言う衝撃的な事実を、さらには自らの「死」を意識して「後悔」することとなったキリシマ・・・。
「ハルナ・ ・ ・いやだ・ ・ ・ ・ ・私は・ ・ ・私はまだ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・死にたくない!」
爆発に巻き込まれて徐々に消えていくキリシマの体、間一髪差し出されたユニオンコアに手を差し伸べ、防爆機能も併せ持った?コートにくるまって「爆発」に身を任せるハルナ・・・。
「そうか、これが・ ・ ・ ・これが・ ・ ・ ・ ・これが・ ・後悔・ ・ ・ !」
キリシマが「死」に恐怖するのは「兵器」としてどうなのか?と言うのは別として、人間が頻繁に使うと知っていた「後悔」と言う「言葉」の「意味」を、文字通り初めて「実感」するに事なったハルナの様子も含め、ここに描かれる「破滅」の光景は異様なまでに美しい・・・。
また、群像の奇策もさることながら、「勝てる!」と断言して大戦艦の能力を最後の瞬間まで計算しきったイオナの能力も凄いのか?艦体スペック上、戦艦はシングルコアなのに、潜水艦だけがデュアルコアであることの意味がここに表現されていると思われます。(ただ、メンタルモデルの周囲に展開される演算リング?の数に、この辺が反映されていないのがちょっと惜しいかな・・・。)
そういえば、イオナがコマンダーシートの横の卓によじ登る様子や、第1話の「急速潜航〜」、今回の「這う!」というセリフや動作の脱力感もキュート(笑)ですが、戦闘前のテラスにおけるハルナ達との会話や、二隻を撃沈後の群像の気遣いにも「分からない」という言葉を繰り返す様子には感情面での変化が感じられません。もともとは諜報が主任務という潜水艦は、キリシマの様な感情エミュレーターを実装していないのか?と興味深いですね。激情タイプのキリシマやタカオに対して、感情を表さない、言い換えると感情に左右されないイオナこそ「兵器」らしく・・・だから強いと言う事でしょう。
さて・・・最後の場面、静謐なピアノ曲(ドビュッシー?ラヴェル??)が流れる中・・・巨大な倉庫の壁に空いた「穴」が完全な「人型」なんて・・・まるで漫画だ!!(爆)何て細かい事は置いといて、実に見応えのある第4話であります!
第4話では、401と大戦艦「ハルナ」「キリシマ」2隻との大海戦が描かれます。このシリーズも後半になるほど重苦しい雰囲気が漂いますが、格好良い戦闘場面や戦術の見事さに絞って観ることができるのがこの4話と言えます。また、メンタルモデル「キリシマ」のご尊顔を拝める最後のチャンスでもあります・・・。(笑)
冒頭、2隻による傍若無人なまでの攻撃(2話において群像が危惧した陸上への攻撃)と、その最中でのハルナの趣味である?「言葉集め」の様子が・・・。人間の「悲鳴」を機械的に処理していくハルナは「兵器」としては正常であろうともやはり不気味です。でも、第5話6話での「変貌」を際立たせる重要な場面でもあります。また、彼女が口にした「言葉は始原、美しいシステム・・・」という聖書(「はじめにことばがあった。ことばは神と共にあり、ことばは神であった。」新約聖書 ヨハネによる福音書1:1)にも通じる一言は、言葉こそ人間の存在理由という「真理」を表し、このシリーズ全編の世界観の一部とも思われる非常に重要なセリフです!!
感情を一切交えないハルナの言い方にはそこまでの意識はないようですが、言葉自体の「意味」は強烈で印象的な場面の一つですね・・・。
そして激しい戦闘の顛末は・・・細かいことは省くとして・・・。(汗)
スペック上も圧倒的に不利な状況の中、401は地の利を最大限に生かして戦ったが、大戦艦2隻が前後に合体した上での超重力砲の標的としてロックオンされ絶体絶命のピンチに!!その刹那・・・索敵演算能力の間隙を突いて放たれた浸食魚雷・・・最後の1発が着弾!!2隻はもろくも瓦解し、夜空を背景に美しい大爆発の情景を見せた後、銀砂となって降り注ぎ・・・跡形もなく消え去った・・・。
次々と繰り出す401の奇策、対する大戦艦の物量戦、一瞬のタイミングのズレが致命的な結果をもたらす場面や、よく見ていないと分からなくなる部分等のテクニカルな面での見所も多いのですが、ストーリー的に大きな見どころはメンタルモデル「キリシマ」の「激情」と「後悔」でしょう。
人間が関わった為攻撃パターンが読めなくなった401との対決に、冷静なハルナは「(ヒュウガやタカオの様に)我々は後悔することになるのかもかもしれん・・・」と予言するが、「ばかばかしい」と一笑に付したキリシマは、時に「激情」を見せて感情エミュレーターの数値を大きく変動させながら応戦・・・。そして、401の反撃を悉く封じて勝利を確信したキリシマが大見得を切った次の瞬間の・・・着弾!「負ける」と言う衝撃的な事実を、さらには自らの「死」を意識して「後悔」することとなったキリシマ・・・。
「ハルナ・ ・ ・いやだ・ ・ ・ ・ ・私は・ ・ ・私はまだ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・死にたくない!」
爆発に巻き込まれて徐々に消えていくキリシマの体、間一髪差し出されたユニオンコアに手を差し伸べ、防爆機能も併せ持った?コートにくるまって「爆発」に身を任せるハルナ・・・。
「そうか、これが・ ・ ・ ・これが・ ・ ・ ・ ・これが・ ・後悔・ ・ ・ !」
キリシマが「死」に恐怖するのは「兵器」としてどうなのか?と言うのは別として、人間が頻繁に使うと知っていた「後悔」と言う「言葉」の「意味」を、文字通り初めて「実感」するに事なったハルナの様子も含め、ここに描かれる「破滅」の光景は異様なまでに美しい・・・。
また、群像の奇策もさることながら、「勝てる!」と断言して大戦艦の能力を最後の瞬間まで計算しきったイオナの能力も凄いのか?艦体スペック上、戦艦はシングルコアなのに、潜水艦だけがデュアルコアであることの意味がここに表現されていると思われます。(ただ、メンタルモデルの周囲に展開される演算リング?の数に、この辺が反映されていないのがちょっと惜しいかな・・・。)
そういえば、イオナがコマンダーシートの横の卓によじ登る様子や、第1話の「急速潜航〜」、今回の「這う!」というセリフや動作の脱力感もキュート(笑)ですが、戦闘前のテラスにおけるハルナ達との会話や、二隻を撃沈後の群像の気遣いにも「分からない」という言葉を繰り返す様子には感情面での変化が感じられません。もともとは諜報が主任務という潜水艦は、キリシマの様な感情エミュレーターを実装していないのか?と興味深いですね。激情タイプのキリシマやタカオに対して、感情を表さない、言い換えると感情に左右されないイオナこそ「兵器」らしく・・・だから強いと言う事でしょう。
さて・・・最後の場面、静謐なピアノ曲(ドビュッシー?ラヴェル??)が流れる中・・・巨大な倉庫の壁に空いた「穴」が完全な「人型」なんて・・・まるで漫画だ!!(爆)何て細かい事は置いといて、実に見応えのある第4話であります!