2015.07.05 Sunday
古都鎌倉に見るあんな事、こんな事、そんな古都
先月の北鎌倉行き以来、鎌倉絡みのTV番組や新聞記事が幾つか目に付き、それぞれ興味深かったので簡単にまとめておきましょう。
まずは、「北鎌倉駅前トンネル」の件から。
海が近いけれど山が多い鎌倉では、銭洗弁天や浄智寺等、先月行ったお寺でもトンネルや岩壁を掘った穴が多かったですね。
アニメ「青い花」の第一話では、主人公あきらの通学路として二ヶ所の実在するトンネルが登場しました。この内、中華屋さんの入り口みたいな方は今も健在で、普通に人が通っていましたが、もう一つの方は通行止めになっていて、残念ながら通れませんでした。密かに「聖地巡礼」を気取っていた(笑)私は予期せぬ事態に気が動転してしまって写真も撮れなかったのですが、その後に通りかかった、大通りに面したお寿司屋さんの店頭に貼られていたポスターを見て、どうやら「保存運動」が行われているらしいことが見て取れました。
帰宅して調べてみると、「北鎌倉 緑の洞門」保存運動という活動の一環として署名活動が進められているらしい。守る会のHPを見ると事の経緯をまとめた詳しい資料などもあって、全体像が何となく分かります。
大雑把にまとめて言うと、あのトンネルは過去数十年にわたって撤去か保存かの論争の的となっていて、最近になって市側が撤去の方針を示したため保存運動が盛り上がってきたと言うことらしい。
実際に通ってみると(トンネルは通っていないけれど)、あの道は北鎌倉駅の裏通りで、元々軽自動車一台分の幅しかないのに、斜めに開けられたトンネルが更に狭くしている印象です。現実に交通事故がおこった、救急車も消防車も通れないし、一部崩落も始まっている・・・市側や町内会等の切実な事情と困惑ももっともで、歴史的な価値でも無いのであれば撤去も仕方がないとも思え、「聖地巡礼」などと脳天気な事をいうのもはばかられる感もあります。
とはいえ、場所は古都鎌倉で、名も無き地方都市ではありませんし、無くしてしまったら元には戻せません。
日本各地で話題になっている世界文化遺産の登録を目指すなどと言う話しもあるようですし、古都としての在るべき姿と地元の生活者の利便性の向上の両面を見据えた「大人」の議論を期待したい所ですね。
とりあえず、差し迫った危険があるのでもなければ一歩立ち止まって欲しいという意味で、保存運動の署名をするかどうかも考えたいと思います。(署名用紙はDLできるようです。)
さて次は・・・・「江ノ電 勝手踏切」の件。
これはTVでやっていたのをたまたま見ただけですが、実に古都鎌倉らしいお話しです。
鎌倉とは切っても切れない関係である江ノ電は、明治時代の開業と言う歴史的な存在で見ての通りとても狭いのですが、それは地域住民それぞれが少しずつ自分の土地を提供して線路が敷かれた為と言う、元々の成立の経緯があったとの事です。
その為、庭先や玄関前に線路があると言う不思議な光景があちこちで見られるようになってしまったが、場所によっては非常に危険な場合もあり、実際に事故が起きるに及んで江ノ電側が態度を硬化させて住民と間でトラブルに・・・という事らしい。
昔はそれぞれが鷹揚に構えていたのに、一度事故が起きて警察ざたになるとそれでは済まなくなってしまう。我々の日常でもよくある話で、ある意味非日常的な江ノ電も例外ではなくなったということでしょう。それまで使えていた踏切が強制的に閉鎖されたため、日常生活が大きく影響され、病気などの非常時にも困ったり、今後予想される津波の際には避難が困難になるなどの、これも切実な問題です。
事は安全に関わるので江ノ電側も引けないでしょうが、古都鎌倉の風物とも言える存在ですから、双方が納得できる方策を考えて欲しいものです。
そして最後にもう一つ。
これはトラブルでは無く朝日新聞の記事「みちものがたり」で取り上げられた、文字通りの古都鎌倉らしい「鎌倉七口切通」です。
鈴木清順監督の映画「チゴイネルワイゼン」のロケ地探訪の旅で、昼なお暗い切通の風景が物語のおどろおどろしい雰囲気を嫌が上にも盛り上げ、鈴木清順のこだわりも納得できたと言うお話しです。記事の中では、鎌倉市内の他のロケ地、「青い花」でも描かれた「ミルクホール」も大きな写真入りで紹介されていて、思わず「おお・・・・」と・・・いつか行くんだ・・・。(笑)
記事は2ページに及ぶ長い特集記事で映画制作に関わるアレコレが紹介されていますが、今回の投稿に関係している1箇所のみを引用しておきます。
「 鎌倉は南が海、残り三方は山という自然がなした城塞(じょうさい)都市、どこかと行き来をしようとすれば、山陵を開削して道をつけることとなる。代表的なものが「鎌倉七口」と呼ばれる切通。中世に端を発し、鎌倉の内と外を、その境界でつなぐ。 街中の大町地区と浄明寺地区の境にある釈迦堂口切通は「七口」には入っていない。長く生活道路として使われ、自動車が通っていたこともあった。1977年に通行禁止となった後も通る人が後を絶たず、2010年に大規模な崩落があった後、フェンスが張られた。 「ツィゴイネルワイゼン」で青地は勾配のきつい山道を登って切通へ向かう。山道は別の場所で撮影された。」(2015年7月4日朝日新聞beより)
古都鎌倉は城塞都市、山稜を開削して道をつける・・・。
歴史的経緯の事実関係は別として、トンネルにしろ、狭い鉄路にしろ、切通にしろ、全てはここからと思われます。地理的歴史的事実の積み重ねの上に「現代の鎌倉」があります。どんな「遺産」として後世に残すのか?地元は当然として、この国全体でも考えるべき時かもしれませんね。
あえて言えば、ハイテクを駆使した未来的な「古都鎌倉」をお願い申し上げたいところです・・・。
と・・・ここまでipadで書けました。
puffinはかなり癖がありますが、慣れれば何とかなりそうです。
PC修理の間、練習を兼ねてもう少し書いてみましょうか・・・。
まずは、「北鎌倉駅前トンネル」の件から。
海が近いけれど山が多い鎌倉では、銭洗弁天や浄智寺等、先月行ったお寺でもトンネルや岩壁を掘った穴が多かったですね。
アニメ「青い花」の第一話では、主人公あきらの通学路として二ヶ所の実在するトンネルが登場しました。この内、中華屋さんの入り口みたいな方は今も健在で、普通に人が通っていましたが、もう一つの方は通行止めになっていて、残念ながら通れませんでした。密かに「聖地巡礼」を気取っていた(笑)私は予期せぬ事態に気が動転してしまって写真も撮れなかったのですが、その後に通りかかった、大通りに面したお寿司屋さんの店頭に貼られていたポスターを見て、どうやら「保存運動」が行われているらしいことが見て取れました。
帰宅して調べてみると、「北鎌倉 緑の洞門」保存運動という活動の一環として署名活動が進められているらしい。守る会のHPを見ると事の経緯をまとめた詳しい資料などもあって、全体像が何となく分かります。
大雑把にまとめて言うと、あのトンネルは過去数十年にわたって撤去か保存かの論争の的となっていて、最近になって市側が撤去の方針を示したため保存運動が盛り上がってきたと言うことらしい。
実際に通ってみると(トンネルは通っていないけれど)、あの道は北鎌倉駅の裏通りで、元々軽自動車一台分の幅しかないのに、斜めに開けられたトンネルが更に狭くしている印象です。現実に交通事故がおこった、救急車も消防車も通れないし、一部崩落も始まっている・・・市側や町内会等の切実な事情と困惑ももっともで、歴史的な価値でも無いのであれば撤去も仕方がないとも思え、「聖地巡礼」などと脳天気な事をいうのもはばかられる感もあります。
とはいえ、場所は古都鎌倉で、名も無き地方都市ではありませんし、無くしてしまったら元には戻せません。
日本各地で話題になっている世界文化遺産の登録を目指すなどと言う話しもあるようですし、古都としての在るべき姿と地元の生活者の利便性の向上の両面を見据えた「大人」の議論を期待したい所ですね。
とりあえず、差し迫った危険があるのでもなければ一歩立ち止まって欲しいという意味で、保存運動の署名をするかどうかも考えたいと思います。(署名用紙はDLできるようです。)
さて次は・・・・「江ノ電 勝手踏切」の件。
これはTVでやっていたのをたまたま見ただけですが、実に古都鎌倉らしいお話しです。
鎌倉とは切っても切れない関係である江ノ電は、明治時代の開業と言う歴史的な存在で見ての通りとても狭いのですが、それは地域住民それぞれが少しずつ自分の土地を提供して線路が敷かれた為と言う、元々の成立の経緯があったとの事です。
その為、庭先や玄関前に線路があると言う不思議な光景があちこちで見られるようになってしまったが、場所によっては非常に危険な場合もあり、実際に事故が起きるに及んで江ノ電側が態度を硬化させて住民と間でトラブルに・・・という事らしい。
昔はそれぞれが鷹揚に構えていたのに、一度事故が起きて警察ざたになるとそれでは済まなくなってしまう。我々の日常でもよくある話で、ある意味非日常的な江ノ電も例外ではなくなったということでしょう。それまで使えていた踏切が強制的に閉鎖されたため、日常生活が大きく影響され、病気などの非常時にも困ったり、今後予想される津波の際には避難が困難になるなどの、これも切実な問題です。
事は安全に関わるので江ノ電側も引けないでしょうが、古都鎌倉の風物とも言える存在ですから、双方が納得できる方策を考えて欲しいものです。
そして最後にもう一つ。
これはトラブルでは無く朝日新聞の記事「みちものがたり」で取り上げられた、文字通りの古都鎌倉らしい「鎌倉七口切通」です。
鈴木清順監督の映画「チゴイネルワイゼン」のロケ地探訪の旅で、昼なお暗い切通の風景が物語のおどろおどろしい雰囲気を嫌が上にも盛り上げ、鈴木清順のこだわりも納得できたと言うお話しです。記事の中では、鎌倉市内の他のロケ地、「青い花」でも描かれた「ミルクホール」も大きな写真入りで紹介されていて、思わず「おお・・・・」と・・・いつか行くんだ・・・。(笑)
記事は2ページに及ぶ長い特集記事で映画制作に関わるアレコレが紹介されていますが、今回の投稿に関係している1箇所のみを引用しておきます。
「 鎌倉は南が海、残り三方は山という自然がなした城塞(じょうさい)都市、どこかと行き来をしようとすれば、山陵を開削して道をつけることとなる。代表的なものが「鎌倉七口」と呼ばれる切通。中世に端を発し、鎌倉の内と外を、その境界でつなぐ。 街中の大町地区と浄明寺地区の境にある釈迦堂口切通は「七口」には入っていない。長く生活道路として使われ、自動車が通っていたこともあった。1977年に通行禁止となった後も通る人が後を絶たず、2010年に大規模な崩落があった後、フェンスが張られた。 「ツィゴイネルワイゼン」で青地は勾配のきつい山道を登って切通へ向かう。山道は別の場所で撮影された。」(2015年7月4日朝日新聞beより)
古都鎌倉は城塞都市、山稜を開削して道をつける・・・。
歴史的経緯の事実関係は別として、トンネルにしろ、狭い鉄路にしろ、切通にしろ、全てはここからと思われます。地理的歴史的事実の積み重ねの上に「現代の鎌倉」があります。どんな「遺産」として後世に残すのか?地元は当然として、この国全体でも考えるべき時かもしれませんね。
あえて言えば、ハイテクを駆使した未来的な「古都鎌倉」をお願い申し上げたいところです・・・。
と・・・ここまでipadで書けました。
puffinはかなり癖がありますが、慣れれば何とかなりそうです。
PC修理の間、練習を兼ねてもう少し書いてみましょうか・・・。